皆さん、こんばんは。筆者「ちはねこ」です。
おかげさまで僕は、「恥ずかしいことも、表裏なく全部暴露する」というスタイルで、各種発信を続けております。
こんなアホなスタイルでやっているブログは珍しいらしく、おかげさまで結構、ファンも付いてくださってるのですが…最近、こんなアホ人間が一つ、やってないことに気づきました。
それは、
自己紹介。
この「よめはち日記」の概要は、すでに書かせて頂きましたが
- 30代男性 夫婦でリベ大勉強中!不妊治療なう
- 不器用人間です(いわゆる発達障害的な)
- 行動したこと、感じたことを書き記すことで、お互い切磋琢磨していきましょう!
的なことを書いてるので、ぜひ見てね☆
とにかく自分のことを語りたくて仕方がない人間のくせに、今まで全然、自分の半生について語ってないことに気づきました。
聞きたいですか??
…おーっと、ブラウザの「戻る」ボタンを押すのは、ちょっとやめてくださいー💦💦申し訳ないですが、たぶん、普通の人生じゃないです。自分でハードル上げても仕方ないのですが、たぶん
結構
ドラマ化、できますよ!?苦笑
自分の人生をグラフにしてみました。じゃかじゃん!
…下にいて、ばっかりね💧
(でも、結婚してから上がってるのは、嬉しい💖)
…結婚してから上がっているのは、嫁さんへのリップサービス…んではなく、実際ここ最近、30代になってやっと、日々人生が楽しいなぁって思ってたりします。
今回は、この「下」の時代を中心にお話しようと思いまして。
人の不幸を色々知って、蜜の味を楽しもう♪
…え?
え?違うの??
おい、ちは子…
勝手に書き換えるんじゃない💧
じゃなくて
「ちはねこ」の過去を知ることで
ちょっとだけ、励まされるかもしれない
主な見どころ
- もちろん「いじめられっ子」スタート
- 東大有望→落ちこぼれ→2浪の末→???
- さらに2年フリーター→迷惑社員→???
- 27年間彼女ナシの男に、ついに…
ね?
ドラマ化、できそうでしょ??
(どうなんですかね)
よく怪しい教材とかである「どん底だった過去」って奴ですね。日本人ってなぜか、どん底から這い上がるストーリーって大好きですよね。…てか僕も、結構好きだったりします。テレビでこの手のドキュメンタリーがあると、つい見入ってしまいます。
人の成功エピソードばかり聞いてても疲れるだろうし、たまには、ネガティブな話でも、聞いてみますか??
さぁ、行ってみましょう。
…自分でもここまで書いてきて思った。なんか、よう今、まともに生きてるな💧今まで迷惑をかけてきた皆様方、本当に、ごめんなさい💦💦
予め、お断り申し上げます。
できるだけ色々ちゃんとお話したいのですが、身バレ防止のため、一部事実と異なる部分をわざと混ぜてあります。本当は、全部をありのままにお話したいのですが…ご理解、ご協力をお願いいたします。
第1章:「ごくせん」中学…学年1位と、その先に待っていたいじめ
さぁて、まずいきますのは中学時代。
先程お見せしたグラフの【のび太時代】に当たる箇所ですね◎
ずっと線が「底辺」をなぞってますが…一体何が、あったのでしょう??
学年1位
子ども時代の僕を語る上で、欠かすことのできない話題です。「自分で言うな」って感じですが、今は単なるポンコツなので、あえていいます。地元のちょっとした有名人でした💧
僕は九州の某県で生まれ、育っています。
僕が生まれ育った地は新興住宅地で、地元ではちょっとした「憧れの街」的なポジションでした。人口も急増していたのでしょうね。中学でクラスが12クラスぐらいある、超マンモス校でした。
教育熱も凄まじく、全生徒の98%が塾に行くという異常な事態。その中で、なぜか筆者ちはねこは塾に行かせてもらえなかったのです。それは…
塾なんて、いっちゃダメ!
(学校の勉強でなんとかしなさいっ!)
…という謎方針により、めでたく「残りの2%」に💧
ところが、奇跡が起こります。
そんな「残りの2%男」が
全生徒480名中
学年1位を取ってしまうのです。
おヤクソク。いじめのターゲットに
当時の自分は、「のび太」みたいなキャラでした。
想像通り。ひ弱で、泣き虫で、女々しくて。まぁ、優しい所もあるのですが、残酷な子供社会では基本的に、最底辺で生活してる子ですね(泣)
そんな「のび太」が学年1位を取っちゃうから、まぁ大変。それまで知られていたあの秀才くんもこの秀才くんも抑えて、堂々の1位でしたから。しかも。塾なしで。
そうなると、ジャイアン…よりも怖い、各種ヤンキーの皆様方がお出ましになるわけですよ💧
実はこの中学、当時、荒れに荒れておりまして💧ちょうど、一昔前に「ごくせん」というドラマが流行ったでしょう。完全に、あのイメージです。
これが、さっきの「通塾率」にも関係しておりまして。結局、学校がこんな感じなもんで、「学校では遊んで、塾で勉強」させていたのです。
しかしながら、生真面目な筆者の家では、なぜかそれが許されず…座席も決まっていて決まってないようなものだったので、先生の周りに自主的に集まって勉強してました。後ろでは紙飛行機やらバスケットボールやらタバコやらが舞ってましたね💧
当然、いじめられます。
人権もクソも、なかったですね。
だって、教師ですらいじめられてましたから
廊下を歩けば突然ミゾオチにパンチ。引き出しには残飯。靴は隠されるので自主的に違う場所。私物ノートには落書き。休み時間は「危険」なので自主的に避難…
まぁ、なんで不登校にならなかったのかが不思議なくらい。
たぶん、それ以上に
「マジメ」だったのでしょうね。
当時の僕にとって、
ルールを破ることは
絶対にしてはいけないこと。
真面目に学校に通い、真面目に勉強をし、真面目に先生や親の言うことを聞き…スーパー四角四面な自分が、そこにはいました。
のび太というより、ガリ勉くんです。
ちょうどいいイラストがありましたわぁ。
そりゃ、格好のカモですわな(笑)今思うと。
のび太 × ガリ勉 = 中学時代の自分
第2章:東大有望男の転落人生…キモいと言われ、ネット廃人になるまで
そんな無法地帯から脱出すべく、筆者は猛勉強し、地元で有名な某進学高に入学します。しかしながら…暗黒時代は終わりません。
もう一度、グラフを出します。
20歳になるまで、
底辺を脱出できていません
…そしてなぜか、浪人に入ると上がるカーブ。
一時期は「東大有望」とまで言われていた男が、なぜか転落します。唯一の取り柄である「勉強」を奪われ、「キモイ」と女子に言われる始末。自信を無くし、クラスに友達を失い、ネット廃人になってしまいます。
いったい、どうしてしまったのでしょう?
初めての幸せな学生生活
「治安の悪い」中学から抜け出したい一心で猛勉強。高校受験では、その県でも名門と呼ばれる高校に入ることができました✨
これでもう、
不良にいじめられる恐れナシ!
実際、高校1年の時は幸せでしたね。グラフには反映させられてませんが。いい先生に恵まれ、オタク少年に初めて、楽しい学生生活が訪れた1年でした✨✨
「お前は東大に合格する」…発達障害の為せる技
また、なぜかその高校でも、「クラスで1位」をキープできたのですね。
当時の恩師からは
俺はわかる。
ちはねこは、東大に合格する!
とまで言われていました。(実話です)
…今振り返ると、この「勉強」は、僕の「発達障害」が為せる技だったのかと。
詳しい説明はまたの機会にしますが、発達障害って「天才気質」でもあるんです。Appleの創業者ジョブズや、アインシュタインなど、いわゆる「天才」は、発達障害だったと言われています。
わかりにくいと思うので、ざっくり例えますが、この頃までの僕は
勉強オタク
だったのかと。
世の中、いろんなオタクがいます。PCオタク、アニメオタク、電車オタク…皆さん、キモイキモいと言われますが、裏を返せばスペシャリストなんですよね。カッコよく言えば。
当時の僕は、いわば「勉強オタク」だったのです。
・・・当時、までは💧
キモオタ ネット廃人への道
だが、春は短すぎました。
高校2年生。彼に突然の現実が訪れます。
ちはねこって、
キモいよね。
たまたま、高校1年のクラスメートがそう言ってるのを、聞いてしまったのです。
いじめを食らった自分は、人に嫌われるのを極度に恐れていて。当時入った部活でも、女子学生が僕をみて嘲笑ってたり。
今の自分が聞いたら
どーせ、俺、いじられキャラだし。
しゃあねぇんじゃね??(笑)
キモいの歓迎!
って軽く流せるとこなのですが。
当時の自分はおおよそ
↑こーんな、感じでしたからねぇ。
モテたいお年頃。人に認められたいお年頃。でも、男子生徒からも女子生徒からも「キモイ」扱いされる。そして、こうなりました。
…ハイ。勉強オタクが
キモオタ・ネット廃人に進化。
…いや、「退化」ですね(泣)
ちょうど僕らは、リベ大の「学長」と、世代がかぶります。ちょうど、インターネットと言うものが誕生したころだったのですね。
当時はこんな時代でした。
- インターネットが誕生。「Eメール」というものに感動する
- 携帯電話が普及。ただし、画面は白黒液晶。
- ブログはおろか、個人でサイトを持つのは、一部のオタクしかできない技だった
やべぇ、
「インターネット」、楽しい!
リアルで対人不信になった自分は、ネットの世界に逃亡。独学でホームページを開き、電子掲示板(BBS)を開設し、「チャット」で「メル友」と交流。
さらっと書いてますが、当時の最先端技術だったんですよ(笑)
唯一の取り柄を奪われ、
ガリ勉君は、ネット廃人に進化。
世間では「高校時代が一生で一番楽しい」とか言われてるようですが、そんなの、クソッタレですよ(苦笑)
当時も今も、そう思います。あは。
第3章:浪人は僕の甲子園…自立し、下剋上するまでの物語。
東大に合格する!
っていうのは、過去の話。夜な夜なネットを開いて、授業では爆睡。
昼休みは独り飯。独りカラオケ、独り繁華街など「独りシリーズ」は一通りこなしましたね(泣)友人はほぼ皆無。キモオタな自分が大嫌いでした。
そんな寂しさを埋めようと、さらにネットに依存する始末…
当然、大学受験にも落ちてしまいます。
しかし、このグラフをもう一度見てください。
なぜか2浪で上がる、このグラフ。
…正直、浪人時代は僕の「青春」でした。
世間では、春や夏になると「高校野球」が盛り上がりを見せます。文化系な自分は、「なんで炎天下でそんなマゾなことを…」とひねくれたりしてるのですが(笑)やっぱ、球児も観客も、青春プレーに感動するんですよね。
断言します。
受験は僕の「甲子園」でした。
一体、何が起きたんでしょう?
初めて周りに「反抗」した日
時間軸を少し戻して、高校3年生にします。相変わらず、当時のキモオタ君はクラスで孤立しています。
寂しいですね。この絵。まさにこの絵の通りなんですが(笑)
そんな彼は、何を思ったのか「進路相談室」に通いました。そこには、かつての恩師がいました。一通り女々しい僕の話を聞いた後、先生は、こう言いました。
俺は、本当に東大に合格すると思ってたんだけれどもな。お前と、○○と、△△。ホントだぞ。
そして先生は、こう続けます。
やるべきことを続けてたら、
結果はついてくるんじゃないか??
…当時の自分が、なぜこんなセリフでやる気を出したのかはよく分かりません。が、「誰も自分を認めてくれない…」ってグレてた自分にとって、その一言はきっと、天からの光だったんでしょう。
…ってか。俺がこの状況を挽回するには
勉強しかない。
とにかく悔しい。悔しすぎる。負けず嫌いは今も昔も変わらない。
なんで俺はこんなに孤立してるんだ。なんでこんなに悔しい思いをしてるんだ。なんでこんなに嫌われてるんだ。
絶対、絶対、
この状況をなんとかしてやる!
そんな自分は、街の本屋で参考書を爆買い。
当時は「Amazon」なんてなかったですからね。本屋で2時間ぐらい立ち読みしまくって、基礎が分かりやすそうな本を片っ端からセレクト。それらを授業に大量に持ち込んでは、先生の話をそっちのけで「内職」をしていました。
先生からは注意をされましたが…
だって、お前らの授業、
全くもって意味不明だし!
生真面目人間が、初めて反抗をした瞬間でした。
当時の僕は、こんなこと、言ってましたっけ??
だって、こんな落ちこぼれた僕に合わせた授業をしてくれるわけじゃねぇじゃん!
だったら、僕がオリジナルな方法で勉強してやる!!
この後、オタク心に着火。それ以後の授業は一切聞かなかったですが、テストで居眠りして物理7点を取るような人間が、学年約250人中30位ぐらいまでに浮上します。今考えてもトンデモナク意味不明な学生でした…。
ただ、願い虚しく、第一希望の大学は落ちてしまいましたけれどもね。
浪人生活の、始まりです。
「脱ヲタ」への道
ここで脱線して、当時の僕のプライベートについてお話します。
浪人生活が始まったのですが、憎っくき高校を卒業した自分は、そんなリア充どもを見返すため、とあるプロジェクト?をはじめます。それが
脱ヲタ
アラフォー以上の方ならわかると思いますが、当時「電車男」というドラマが流行ってまして。覚えてますかね??(公式ページ) アレが流行ったのはこの後なのですが、おおよそ、当時の自分もそんな雰囲気でした。
ホワイトソックスにブリーフしか履いてないような男が(実話)、街の繁華街に繰り出し、挙動不審な行動を取りながら、服やら髪やらを整え始めるわけです。
「自分、まだ若いよー」って方に、ざっくりと説明。
女性に全く縁のなかったヲタク青年が掲示板サイトの住人達の熱い励ましを受け、憧れの美女との距離を少しずつ縮めていく…(公式サイトより)
ネット廃人だった主人公。たまたま乗り合わせた電車で、若い女性が酔っ払いに絡まれてるのを目撃。なけなしの勇気を振り絞った彼は、彼女を助けることに成功。後日、お礼のティーカップが送られる。
彼女に一目惚れする主人公。だが、「彼女いない歴=年齢」の彼は、どうやって誘い出せばいいのかわからない。そんな彼が救いを求めたのがインターネット掲示板だった。そこで、彼は「電車男」というハンドルネームを名乗ることになる…ネット上で応援される彼は、不器用ながら、行動を始める。
続いて美容室を予約。恐る恐る「アシンメトリーで、アッシュで…」なんて、今の自分でもとても言えない言葉を連発する電車男。服屋にも突入し、今ひとつダサいチョイスながら、人生で初めて服を揃えました。いやぁ、必死でしたね(笑)
オタク、オタクと言いすぎて、自分のイメージがボロボロだと思うので…
ちょっと、一度、当時の写真でも載せて見ましょうか。
じゃかじゃん。
電車男くん、一歩、進化です。
とりあえず、茶髪ですね。黄色い服というのがどうも、謎ですが。
これで彼も、可愛い女の子のピンチを救えるかな??
…いや、ムリだな(笑)
「下剋上」…自分が初めて、何かを成し遂げる日
まぁでも、浪人時代は楽しかったですね。
…勉強面じゃないっす。夜な夜な、地元の友人と走り回ってました◎ 茶髪電車男、夜な夜なカラオケ屋に行ってはファミレスで飯を食う。遅すぎた、青春でした。…それ故浪人1年目も受験に失敗してしまいます💧
でもそこは電車男。インターネットに、救いを求めます。
さぁ立ち上がれ、電車男!
当時の「浪人日記」が
唯一の、希望でした。
「ネット廃人」時代からホームページを開設してましたが、この時代は「WEB日記」を書いていました。いいですか。「ブログ」ではないですよ??当時は「ブログ」って言葉は、まだ誕生してなかったですからね。
昨日、色々漁ってたら、なんと当時の記事を発掘!!
ヤバいっすよ…
じゃかじゃん!(画像荒くてスミマセン)
#267 受験「戦争」…生か死か
「連日23時帰宅、24時に夕食という凄まじい生活…
結構、寂しいです」
…ってか、確かにその生活もヤバいけど
記事タイトル、ヤバくね!?
他にも、記事番号が#267って言うのにもビックリなのですが(どれだけネット依存していたのだろう💧)
さあ、当時の自分は、何を思ってたのでしょう?
ちょっと、インタビューしてみましょうか。
ちはねこくーん、一歩前へ!
僕は、家庭環境にもあまり恵まれず、その結果「性格が歪んで」しまい、満足な学生生活を遅れませんでした。
でも、この受験を機に、そんな自分を変えたいと思っています。
もし合格したら、そんな自分みたいな人間を励ませる人間になりたいです。
絶対に、合格してみせます。
下剋上、してみせます。
※ 当時の自分が言っていそうなことを再現。今振り返ると「アホらしいなぁ」って思いますが(笑)
受験は僕の甲子園でした。惨めな自分にピリオドを打つため、そんな自分を逐次発信しつつ、朝の9時から夜の22時まで予備校に缶詰になってました。自分流の勉強法を「浪人日記」で発信し、誰にも負けない勉強法理論を組み立てていきました。
そして、20歳の自分に奇跡が起きます。
- 県内の上位者ランキングに、名前が載るようになり
- センター試験で90点後半〜100点を取るようになり
- 志望校の模試でも、上位一桁の順位を取るように
そして…
某・難関大学に、合格します。
キモオタは、「脱ヲタ」を果たし、
初めて自分の手で、一つのことを成し遂げる。
結局この後「マジ、大学の肩書なんて関係ねぇ」って言い出すのですが
「行動できたこと」が、今でも、
僕の自信になっています。
…続きは【後編】で!
えー、ここで終わっちゃうの??
…スミマセン、熱が入りすぎて、一旦ここで打ち切りにします!
さぁ、この後彼は故郷を後にし上京するのですが(朝ドラ!?)、果たして「下剋上」を果たし、「リア充」になれるのでしょうか??
まぁ、現実はそんなに甘くはなく
もう、2回ぐらい
地獄に落ちてもらいますけどね☆
後半の、見どころです!
- 結局「リア充」にはなれず、大学4年生では就職できず。海外放浪したり、フリーター化したり。どうした!?
- 20代後半にして、やっと就職しますが…
そこはバリバリの体育会系。さぁ、どうする? - 彼女ができない!27歳まで「彼女いない歴=年齢」の自分が、なんと…しかしその先が、ヤバかった!
…フィクションじゃないですよ。念の為。
【後編】に、つづくっ!
(追記)後編、書きました!
R3.1.17 やっと後編書きました!続きはこちらよりお読みください◎
読んでいただき、ありがとうございました。こんな感じで、役に立つのかわからない文章を随時発信しています。もし興味があれば、他の記事にも遊びに来てください◎
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