みなさんこんにちは、「よめはち日記」の筆者、「ちはねこ」です。
今日のテーマは
ちはねこの半生
【後編】
で、ございます。
「前編」を読むとより面白いですが、この「後編」だけでも楽しめるようにしてあります。この後編の最後に「前編」へのリンクもあります。読んでから前編に戻ってもよし、お好きなようにどうぞ◎
前回も言いましたが、たぶん、普通の人生じゃないです。
結構、
ドラマ化、できますよ(笑)
【前置き】遅くなりました。「後編」です
もう2ヶ月前になるんですかね!?僕の半生の【前編】を書いたのですが、覚えていますでしょうか!?
おかげさまで、当時の記事としては大反響をいただきまして。
僕としても「続編、頑張ろう!」と思ってたのですが…
…そこは、自分の悪い癖で
(うーん、やる気が
起きなくなっちゃったなぁ)
熱しやすく冷めやすい筆者。ズルズル、後回しにしてしまい、しまいには
私は知ってる。
あなたは、絶対続編は書かない!
う、うっせぇ!!(…でも実際、そうなんだよなぁ)
…悔しいので、2ヶ月の時をすぎ、ついに、つ、ついに…
続編を
書くことにしました!!
おお!
やっと、書く気になったねぇ!
というのも、常連読者さんの「もかさん」が、僕の真似?をして半生を書いたのですが(笑)、それがバズってまして。(もかさんの半生はこちら!)
こりゃ、僕も書かなきゃな、と思ったわけです(^_^;)
いちお、前回こういう「人生グラフ」をご用意させて頂きました!
(谷しかないな(^_^;))
今回はこの「大学」からのお話ですが、軽くその前も振り返ることができるようにしておきました。
さぁ、谷あり谷あり、谷しかない某不器用人間の人生を、とくとご覧あれ!
【復習】要はオタクな学生時代でした、と。
さぁ、ということで後半本編に入る前に、【前編】の復習をしたいと思いまーす!さぁ、アシスタントのちは子さん。我が妻ならもちろん、前編の話を要約できますよね!?
任せといてー!
- 中学校時代は、ガリ勉オタクだった
- 高校時代は、キモオタだった
- 浪人になって初めて、脱オタした
結論:ちはねこは変人オタクだった
えっへん!
(これで完璧ね💖)
…おい、役立たず。
(全部「オタク」でまとめるなよ)
しゃあないっす。行きますよ!
中学時代:「ガリ勉オタク」
中学時代のイメージ図は、こんなんでしたね(笑)
まぁ、、地域で有名人だったそうですよ。学年1位とからしくて。
んでもそうなると、こーゆー方々に、ボコボコにされる、っと。トイレの扉が地上4階から降ってくるような中学でしたからね^^;
高校時代:「キモオタ」「ネットオタ」
んで高校時代。進学校に入り、↑コイツらから避難し、「東大間違いなし」と言われるようになりましたが…当時のイケイケな女子高生たちに茶化され、ネットの世界に逃げ込んでしまったんですよね。
成績は真っ逆さま。テストで居眠りして、一桁の点数をとったことも。当然、大学受験にも落ちてしまいます。1浪しても、落ちてしまいます。もうだめか、そう思ったのですが…
浪人時代:「脱オタ」
(画像:電車男オフィシャルページより)
こんな自分が、脱オタしたわけなんです。
ビジュアルの変化とともに、猛勉強もするようになり。まぁ、最終的には有名大学に合格しましたとさ、めでたし、めでたし、というお話でした。
その辺のオタオタしい話は、前の記事を読んでみてくださいね。エルメスさんは出てこないですが、全人類涙なしでは見られない感動の嵐です(嘘)
さぁ、オタオタしいちはねこ少年、東京で無事「リア充」デビュー、できたのでしょうか??さて、「人生グラフ」とやらを、見てみますと…
まぁ、
ダメだったみたいですね。
有名大学に入れば
人生バラ色なんて。
そんなに人生は甘くはない!
さぁ、地獄に落ちる様、見てみましょう!
時代は2000年前半、まだ二つ折りガラケーが主流だった時代です。
第4章【大学時代】上京、一人暮らし。ぶち当たる壁
中学高校で「非・リア充」。さらには、2年浪人。そりゃ、大学時代での一発逆転を目指しますがな。ましては新天地。志望校。
特に、交友関係には飢えてましたね。「友達をいっぱい作るんだ!!」。当時はそればかり言ってた気がします。
だけれども、このとき僕は気づいていませんでした。勉強ばかりしていて、コミュ力が全然備わっていないことに。
…いやそもそも、人より苦手だったんだ。「発達障害」。今ならわかる。もともと、人一倍ハンデを持ってたんだ。なのに僕は、自分を責めてばかりいて…。
①結局友達ができなかった話と、②バイトに就活に自信をなくしてしまったお話。もうしばらく、暗い話が続きます。お聞きください。
大学でも嫌われ、殻に閉じこもる
まぁ、当時は若かったでしたね。調子乗ってましたね。
浪人2年目で「逆転満塁ホームラン」をかまして、調子乗ってたのでしょう。なぜか「大学では成功する!」とばかり信じてましたから。
んでも、予備校に引きこもっていて、交友関係が全く無かった僕。今までお母ちゃんに身の回りのことをすべて任していた僕。まぁ、見えてますよね。
新歓に参加すれば、周りがドン引き。友達を作ろうと躍起になってたのでしょうね。片っ端からがっついてしまいました。みんな優しいので、表面的には合わせてくれます。んでも、なんか空回りしてる自分に気づきました。
一方、自己管理も散々でした。部屋の中はグジャグジャ。優柔不断で決断ができない。頭の中がいつもパニクっていて、次第に大学の授業にもついていけなくなって行きました。
我が妻なら、こういうでしょう。
旦那のキライな所ベスト3
- 優柔不断
- 片付け下手
- 空気読めない
色々助けられてます。有難うございますm(_ _)m
今振り返ると、典型的な「発達障害」の症状だったんだなぁ、って思います。しかしながら、当時の僕はそれに気づいていませんでした。
自分が悪い。全部自分の努力不足なんだ。いったいどうすればいいんだ?でもわからない・・・
▲リアルに当時の部屋。片付けも下手でした。
友人も離れ、汚い部屋の中で一人。大学でも一人。相変わらず、一人飯。縁もゆかりもない東京、昔からの友人も親戚もいない。次第に、自宅アパートに引きこもるようになっていきました。
仕事ができないコンプレックス
自信のなさは「仕事面」にも現れていました。
“意識”だけは人一倍高かったので、いろんなアルバイトに手を出しました。イベントスタッフ、物販、ホテル…。接客系が多かったですかね。
でも、どれも上手く行かない。上司から怒られてばかり。
まず、①忙しくなると人一倍テンパりますよね。また②こだわりが強くて、一つの物事を終わらせるのが遅い。ましては③お客さんに要らんことを言って怒らせる、などなど…。
今でこそ、接客を15年以上続けてきて、ある程度はコントロールできてますが。なんなら、新人に色々教えたりしていますが。当時は
「勤務スキルに問題あり。このままでは辞職勧告も」
なんて、評定に書かれてたりしました💧
当然ながら、就職活動も自信がなかったですね。
それなりに著名な大学に入ってたので、求人だけはやたら来てました。僕も書類を出せば、まず落ちなかった。けれども、受けども受けども、面接で落とされる日々。数えてないけど、100社ぐらいは落とされたのでは!?
結局、同学年の他の学生がエリート企業に内定を決めていく中、4年生の夏になってもひたすら、リクルートスーツで歩きまわっていました。
その学生たちは、同じ年なのに僕の年収の2倍3倍もらってるそうです。同窓会出ると、僕は年収ランキング最下位になるので惨めです…(苦笑)
結論)どんな大学出ようが、結局はその人次第
第5章【就職留年】僕を救った、国際ボランティア
そんな、鬱々とした日に、突然転機が訪れます。
きっかけは、大学内に貼ってあった、一枚のポスターでした。
海外ボランティア
参加者募集
※この写真はイメージです(フリー素材より)
今思えば、これが転機だったのだと。このポスターに出会えなければ、僕は今問題になってる「ニート」や「パラサイト・シングル」、もしくはホームレスや犯罪者にすらなってたのかもしれない、と。
新しい居場所。感謝してもしきれない。
2年後、僕はこの団体の、部門リーダーを務めることになります。リーダーとして、大学外や他団体と、多くのつながりができました。おそらくこの2年間で、それまでの友人の数をゆうに超えてしまった。
人生何が起きるかわからない。直感に従うのは、正義です。
もともと一人旅には興味があったが
へ?「オタクが海外?」と思うかもしれませんが
もともと、一人旅には興味がありました。
日頃の憂鬱感を紛らわそうと、「青春18きっぷ」を手に、全国をグルグル、回っていました。
「青春18きっぷ」とは、格安で全国のJRを乗り放題できるきっぷのことです。新幹線や特急には乗れないのですが、鈍行には乗り放題。それを使い、今で言う「ゲストハウス」(格安宿)を渡り歩き、1〜2週間ぐらいの旅をするのが大好きでした。
(…ちょっとこの写真は
美化しすぎてますが)
旅先では何故か、素の自分が出せる。旅先で出会った方々と、普通に喋れる。行き当たりばったり、自由な身。
今振り返ると、熱しやすく冷めやすい、気分屋の「ADHD」(発達障害の一種)にピッタリの趣味だったように感じます。
決意。こんな自分を変えたい
そんな僕が、就活で鬱々してるとき、先程紹介した「ポスター」に出会ったのです。
…海外。海外かぁ。しかも、途上国…。
んでもどこかで「こんな自分を変えたい」って思いがあったのでしょうね。
優柔不断な僕ではありましたが。大金はたいて、見知らぬ「インドネシア」という国に飛び立つことに決意しました。
僕を変えたインドネシア
インドネシア。みなさん、よく知らないと思いますが。東南アジアの国で、人口は日本の2〜3倍ぐらいあります。
えっ、どこ!?
インドじゃないの!?
実は皆さんよくご存知の
「バリ島」がある国ですよ◎
バリ島のイメージは、こんなんだと思いますが(フリー素材より)
僕がお邪魔したのは、「ジャワ島」。
日本で例えるのなら、「沖縄」ではなく「本州」って感じですかね。
(▲実際に僕が撮った写真です)
島国で、意外と日本人と性格が似ています。空気を読むし、思いやりがある。
しかしながら、南国だからか、発展途上だからか。時間にはルーズ。多少のテキトーさが許される所があります。僕の現地の友達に、ラジオ局のDJをしてる女の子がいましたが。オンエアに堂々と遅刻してましたからね(^_^;)
そんなインドネシアに、1ヶ月以上滞在してたのですが
なんて言うんでしょう。昭和の田舎の日本みたいな感じなんですよ。優しく出迎えてくれるし、次々知り合いを紹介してくれる。宿に困ってるといえば全力で探してくれるし、その他世話焼きをいとわない。
▲これも実際の写真。中央猫マークが筆者。子供たちの顔は画像処理。
日本で対人不信に陥ってた僕でしたが、現地の彼らの「熱くて温かい心」に、次第に笑顔が増えて行きました。
・・・こんな僕でも、居て、いいんだ。
熱くて温かい仲間を増やしたい
そうして帰国した僕。もう、就活はやめました。この世界で暮らしてみたい。就職する前に、色々やってみたい。
休学届を出し、このボランティア団体の活動に、ガッツリハマることに。
気づいたら、東京各地で説明会を開催していました。僕が救われたこの「あったかい」場所。もしかしたら、困っている同士が、いるかもしれない。
たくさんの「仲間」を海外に送り出すとともに、国内でも多くの交流イベントを開催。気がつけば、とある部門の「リーダー」を任されてました。
熱くて温かくて、
ちょっと変な仲間を増やしたい
…どこかで聞いたセリフかと思えば、僕のTwitterの自己紹介欄に。
当時からの
キャッチフレーズだったんですよ
相変わらず不器用な奴でしたが、気がついたら仲間がいっぱい。
「もしかしたら僕は、生まれてくる国を間違えて来たのかもしれない。
たまたま、日本という文化に馴染めなかっただけで、自分が悪いわけではなかったのかもしれない」
大学は、学校は、未だに嫌いでした。学校を変えたい、メンタルで辛い人たちを救いたいと思って入学した割に、未だに迷走。
んでも、僕は「学校の外」に救われました。僕も、学校の外、今の日本社会に合わない人たちを、拾い上げる場所を作りたい。
休学届を出して2年。親からは散々言われましたが。やっとのことで、一つの団体さん…子どもたち向けのキャンプや合宿をする団体さんに、内定を頂きました。子ども指導員みたいなイメージですかね。
第6章【新卒就職】再びぶつかる、「体育会系」という壁。
しかしながら…というか、なんというか。また、迷走するんですよね。3回目の谷のお話です。
…また落ちるのね。
(暗い話はキライ!)
まぁ、そう言わずに、お付き合いくださいませ。
ボランティア団体での経験から、長野の「キャンプ指導員」の仕事に内定をもらっていた筆者。しかしながら「事件」が起きて、仕方なく、名古屋の某企業にお世話になることに。
ここがまぁ、「The・昭和」な会社で。「迷惑社員」として、ハブられて行くお話です。
今でも当時を知る同期に話を聞くと、「昔はお前はヒドかったなぁ〜」って冗談を言われます。ええ。10年経って、今では立派な社畜ですが(笑)
当初3年でやめる予定が、ズルズルと10年。いつの間にか、中堅社員になってしまいました^^;今では僕が、新人さんのお悩みを聞く立場に。
まぁ、会社員は
色々大変ですよね☆
そんな、尖っていた若かりし「ちはねこ」を、みてみましょう。
ちはねこ「辞めろコール」を食らう
話を少しだけ戻して、就職留年時代。さすがにその「ボランティア団体」だけだとお金が持たないので、アルバイトをしてました。学童保育所での指導員だったんですね。
んでも、そこの「学童」は非常に荒れてて、指導員も容赦なく舐められることになりました。ええ、中学校時代の再来ですわ。
当時は僕も若く、子どもたちの挑発に乗ってしまったりして。次第に、関係がこじれて行きました。
不人気指導員、まっしぐら。辞めることを決意したとき、子どもたちに「やったー!」「辞めろ、辞めろ!」とコールされたことは、今でも忘れません。
ボランティア団体の経験から、長野県で「子どもキャンプ」をする団体に内定を受けていました。もしこの学童の経験がなければ、今頃山奥で、キャンプ指導員をしてたのかもしれません。
んでも…悩みました。こんなクソガキどもにもしまた出会ったらどうしよう。山奥で、住み込み。携帯の電波も届かない。手取りは10万ほどって聞いてるし…
悩んで、悩んだあげく。部屋の片隅に放置してた、一つの封筒に手を伸ばしました。捨てようと思って、捨てきれなかった一つの封筒。
それは、とある名古屋の会社からの、内定通知の封筒でした。
「…理不尽な子どもに悩むぐらいなら、言葉がわかる大人のほうがまだマシだ」
競馬?パチンコ??何それ??
さて・・・運命はちょっとしたことから変わるのですね。そんなこんなで、長野に辞退の電話を入れ、名古屋に乗り込むことを決意しました。なんと、現在の会社の説明会・1日前だったんですね。名古屋生活の、始まりです。
・・・でも。この会社。今まで多くの「アルバイト」をしてきましたが、そのどの会社よりも「風通しが悪い」会社でした。一言でいうと
「体育会系が残る、昭和の会社」
今までの「ボランティア団体」とは一変。これまでは「上下関係なく、風通しよくいこうぜー」「どんどん変えていこうぜー!」って雰囲気で、僕もすごく、それが好きだったのですが…
現実世界は
こんなもんですよね
- 上下関係絶対
- 集団生活絶対
- 昔からやってることが正義。
昔からの会社は似たりよったりかもしれませんが。上司の言うことは絶対。いろんな意味不明な古臭い伝統も残っていました。ゴマすり必須、根回し必須。
休憩室ではお客様と同僚の悪口ばかり。そもそも、「お客様のこと」なんてちっとも考えてない。タバコもスパスパ、風俗とギャンブルの話ばかり。
今は別に、話を合わせることはできます。毎週日曜3時半は競馬のレースがある、とか、夜の街だと何処がいい、とか(笑)
んでも僕の趣味とは真反対の世界ですし。僕の価値観とも真反対。今でこそ仲良くしてますが、当時は
なんだ、コイツらは…
タバコなんて不健康だろ!?
風俗なんて金の無駄だろ!?
パチンコなんて…
なーんて、反発ばかりしてました。
「高学歴の迷惑社員」
そうして・・・陰でこう言われるようになった、と聞きます。
コイツ、頭はいいかもしれんが
仕事できねぇし、ウザいよな
今でこそ、こういう方々の気持ちは分かります。実際僕も中年になり、こういう「生意気な」??若手が入って来て初めて、気持ちが分かりました。
んでも当時は…しんどかったですね。学歴の「逆差別」というか。
特に僕は、高卒枠の職場で入ってます。2年留年してるので、普通の大卒募集ではほぼ、門前払いだったんですね。
高卒の方々ばかりの同僚・上司。その中に、一応全国でも有名な、某大学卒の人間。普通の大卒でさえ「賢い」って言われる職場。そりゃあ、ターゲットになりますって💧
僕も当時は若かったので
そういうお前らは
パソコンもロクに使えず
日々サボることばっか考えてて
何をやってるんだ!?
って反発したり。
まぁ、仕事ができない奴が何言ってるんですかって感じですがね。当時の自分に一発説教してやりたい感じですが。
そんな感じで、プライドだけは高い「ウザい奴」だったのですが…
そんな僕に、転機が訪れます。
そう、後に妻になる
ちは子との
出会いです。
…終わりに
えー、ここで終わっちゃうの!?
‥今回も完結しませんでしたね💧一旦ここで、打ち切りにします!
実はこのあと、ついに妻・「ちは子」と出会うのですが、それがキッカケで、人間的にも変わり、自分と周りとの妥協点を探れるようになりました。また、頑固者で歪んだ性格の持ち主でしたが、少しずつトゲが取れるようになってきました。
次回はこの、ちは子との出会いと悩みを描きたいかと。モラハラ夫予備軍だった僕が、妻との関係を本気で考え直し、結婚に至るまでの話を書きます。
また、このことがキッカケで、会社の方々との関係も変わっていきます。現在の、リーダーを任されてる僕に繋がっていきます。
さぁ、
やっと上がっていきますよ!?
(今日が一番人生で幸せな日です☆)
いつになるかは分かりませんが、
次回、【恋愛編】
乞うご期待ください!
ホントに
書いてよね!!
(私も続編書いたんだから!)
はーい💦💦
(こりゃ書かなあかんな)
僕を煽る「もかさん」ですが、彼女は前編執筆のなんと1日後に、後編を発表しました。行動力がすごい。。。
おまけ
ここまで読んで「前編」に興味を持った方!ぜひとも「前編」もお読みください◎(相変わらず暗い話ばかりですが笑)
また、僕のブログが初めての方!ぜひとも他の記事も読んでってください(3の倍数の日に更新してます)
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